甘じょっぱいがちょうど良い

引っ越しばかりの日常。仕事、家族、趣味について。

2024.4.16(火)

朝5時前から起きている父の物音に気づく。昨夜はあまり眠れず。病院同行するため、荷造りを済ませて朝ごはん。トースト1/2.ヨーグルト、コーヒー。他愛無い会話をして、車に乗り込む。

病院に向かい父はどんな返事をするんだろう。自分で自分の寿命を選び、選択するのはどんな気持ちなんだろう。

仕事では、いつも繰り返される場面なのに身内に起こる現実になんとも言えない感覚に襲われる。

車を運転する父の背中は小さく、なんだか寂しいというか、胸をぐりぐりとグーパンチされているような痛い感じがした。

父の通う病院は地方では大きな総合病院で、だから若い先生も多い。父はなかなかの昭和な人なので待ち時間の長さも少しイライラする様子も垣間見えた。

母とコソコソと父のことを話し、診察室の掲示板が父の番号を表示して診察室に入った。

呼吸器の先生は女医さんでさっぱりした印象の先生。先月に電話で話をしていたが、説明もわかりやすく話してくれる。今は告知の時代、包み隠さずさらりと話す。今回の検査で、もともとあった内分泌の病気から肺の組織が癌化して検査の結果、腺がんとわかった。現在、ステージⅡ。本来なら手術的用、ただし父の場合は他の臓器の機能が低下しているので、今では難しい。タバコを完全に止めるのであれば可能性はあると説明。放射線治療は適用外、抗がん剤治療は適用ではあるが、使用できる薬剤は限られていること、生活の質を保てた上での治療ができるとは言い切れないと説明を受けた。父は抗がん剤を選択すると母も私も思っていた。治療は大変であるが、1度やってみて、本人が後悔がないようにすればいいと内心を持っていた。でも違った。自ら、「先生、そんな大変な治療はもういいです。周りに聞いたら副作用も大変と聞くし、そんなんはいらないです。何もしません。」と話した。

父にとって1番良い選択肢かもしれないと思ったけれど、実際に父の口から聞くと、どんなに辛い選択だったんだろうと我慢していた涙が溢れた。泣きたいのは父だと思う。母はいつものように泣いている。私がしっかりしなければいけないのに。幸つけている。マスクを引っ張り上げ涙を隠し続けて今後のことを聞いた。緩やかに進行すれば今の生活が維持できること、辛い症状が出てくれば緩和ケアを受けていくことも含め説明を淡々と受ける。急激な変化は無いだろうと、先生が言ってくれたのも救いであり、他の科の先生とも協力しながらサポートすると言ってくれたのも幸いであった。

診察室を父母が出てから先生と話をした。

余命というのを言い切れるわけではないが、概ねの流れを教科書通りの説明で受ける。苦しくないようにしていきたい、検査をしながらサポートすることも話してくれたので、先生を信頼して治療を受けるしかないと思う。

その後、糖尿病内科に回り、もともとの内分泌の病気に対しての治療の説明を受け、新しい器具や吸入器の説明などを受けた。薬の処方などを待つ間、父とたわいのない会話をしながら、病院の食堂でかき揚げうどんを食べた。父はいつも海老天うどんを食べるのだそうだ。母は父が父らしく生きることができるように選択したことで、少し安堵から表情は和らいでいる様子だった。

そのまま空港ターミナルバスの駅まで送ってもらい、空港まで送ると言う両親の提案を断り。バスで空港に向かった。バスに乗ってもずっと涙は止まらず、飛行機では疲れて寝て、自宅にやっと帰った。19時だった。

夫は帰ってきており、晩御飯を作っていてくれた。いつも通りの塩対応だが、父の様子について報告をした。ただ淡々と話を聞くだけであるが、それ以上何を問うこともなく聞いてくれるのが今はただただ良かった。娘にもLINEをした。就活が終わったら帰省すると言う話もしており、会いに行ってもらおうと思った。

夜は豚丼、味噌汁、餃子3個。

早く寝たかったが、なかなか寝付けず。